【感想・あらすじ】"普通"という概念に縛られない生き方をコミカルに描いた作品『まともじゃないのは君も一緒』

"普通じゃない"予備校講師と、恋愛知識は豊富だが経験はゼロという女子高生が、ある恋愛作戦に挑むラブコメ映画です。予備校講師役の成田凌と女子高生役の清原果耶のコンビの相性が"良い意味で"最悪で、つまりは最高でした。早速、本作品のあらすじとネタバレ無しの感想を紹介していきます。

作品情報

婚前特急」の監督・前田弘二と脚本・高田亮が再タッグを組み、成田凌と清原果耶がダブル主演を務めた恋愛ドラマ。人とのコミュニケーションが苦手で、数学ひと筋で生きてきた予備校講師の大野。今の生活に不満はないが、このままずっと1人でいることに漠然とした不安を抱えている。世間知らずで「普通」が何かわからない彼は、女の子とデートをしてもどこかピントがずれているような空気を感じる。教え子の香住は、そんな大野を「普通じゃない」と指摘してくれる唯一の相手だ。恋愛経験はないが恋愛雑学だけは豊富な香住に、「普通」を教えてほしいと頼み込む大野だったが……。

(「映画.com」より) 

あらすじ

成田凌が演じる大野康臣は予備校講師。顔もスタイルも良いのに、偏屈で"普通ではない"性格のせいで、独身で彼女ができる気配もありません。女性に「好きです」と告白され、「それって定量的に言うとどういうこと?」と返してしまうような男です。

清原果耶が演じる秋本香住は女子高生。友人も多く、一見"普通"の高校生に見えますが、他人の悪口ばかりを言って楽しむ友人たちにはモヤモヤとした気持ちを抱えており、彼女たちとはどこか距離を置いて接している様子が見受けられます。

大野と香住は予備校の講師と生徒。ある日、大野の言動に対して「普通じゃない」と指摘した香住は、「どうしたら普通になれるか教えてほしい」と頼み込まれます。

感想

冒頭にも書いた通り、成田凌×清原果耶のコンビが最高でした。「普通だよ」「普通じゃないよ」という二人の掛け合いはそれだけでも面白いのですが、この物語のテーマである"まとも(普通)"についても深く考えさせられました。生きるうえで、"まとも"とはどういうことなのか"まとも"ではないことの不便さは何なのか"まとも"でいることの窮屈さは何なのか"まとも"でいることの必要性は何なのか……等々。

世の中には"まとも"や"普通"という言葉が溢れ返っていて、私たちはいつもそんな抽象的な概念に振り回されています。「"普通"だったらこうする」「"まとも"な人はこんなことしない……」など。しかし、"普通"に流されているままでは、それにより色んなことを諦めてしまい、本当の自分を見失ってしまう、なんていう事態にもなりかねません。自分が自分らしく生きていくためには、"普通"という概念に縛られず、もっと自分の気持ちに素直になってみても良いんじゃないかな、と思います。

コミカルな映画ではありましたが、そんな大事なことを教えてくれる素敵な映画でした。

【感想・あらすじ】誰にも理解してくれない苦しみと静かな幸せへの希望『流浪の月』/凪良ゆう

2020年本屋大賞を受賞した、凪良ゆうさんの作品です。幼女誘拐事件の犯人と、その"被害者"とされた幼女のその後の物語。二人の関係性は世間が思っているものとは程遠く、実は、幼女はその男に助けられていたのです。苦しさを感じつつもページを捲る手は止まらず、久しぶりにイッキ読みしてしまいました。

 

あらすじ

あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい―。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説。

二人の関係のはじまり

主人公の更紗は、大好きだった両親を幼い頃に失い、伯母さんの家に引き取られました。伯母さんは悪い人ではなかったのですが、その家の息子、孝弘という中学生の従兄弟に、更紗は性的ないたずらをされます。自分の居場所がないと感じていた更紗は、ある日公園で文という青年に声をかけられ、彼の家へ着いていきます。常日頃から公園にいて女児を眺めていたことで"ロリコン"と噂されていた文ですが、彼は、更紗の嫌がることは一切しませんでした。むしろ、自由で安全な暮らしを与え、彼の部屋は更紗が居心地よく過ごせる安息の場となっていました。しかし、そんな暮らしは長くは続きません。ある日、「動物園へ行きたい」という更紗の要望のもと外へ連れ出した文は、"幼女誘拐事件"の犯人として逮捕されてしまいます。

理解してもらえない苦しみ

文が逮捕された後、更紗は文のことを庇おうとするのですが、彼女の主張はなかなか聞き入れてもらません。大人たちは更紗のことを「犯人に洗脳されている」「自分がされたことが恥ずかしいから否定している」と思い込んでいるのです。

読んでいて、とても苦しい気持ちになりました。更紗は確かに過去に嫌なことをされた、でもそれは従兄弟からされたことであって、そんな更紗は文に助けられた、更紗と文が二人で過ごす時間は、自由で幸せで何よりも尊いものだった……でもそれは二人にしか分からないことなのです。私自身、実際にこの出来事が現実で起きたとしたら、二人のことを凶悪な"犯人"とかわいそな"被害者"として見てしまうな…と思いました。

"事実"と"真実"

事実と真実は違う―、これは何においても言えることだと思います。私たちは(少なくとも私は)、自分の見た/聞いた出来事だけで事実を捉え、勝手なイメージで解釈を作り上げてしまいます。ですが、それは真実とはかけ離れたものになっているのかもしれません。事実の裏には、どんな背景があったのか、どんな事情があったのか、一度立ち止まって考えていかなければならない、と強く思いました。

善意による息苦しさ

事件の被害者とされた更紗は、"かわいそうな子"として生きていくこととなります。彼女は、大人へと成長していく過程で、また大人になった後でも、"真実"を知らない人たちの善意に息苦しさを感じていきます。

怒りや蔑み、上からの哀れみ。そんなものなら、なんのためらいもなく投げ捨てられる。けれどその中に時折、優しい気持ちが混じる。この人を理解したいとか、自分になにかできることはないかと、そういう善意がわたしの足をつかみ、そっちにはいけないと強く引き留める。

人の善意は、時として重荷になることもあれば、苦しみの材料になることもあります。この物語の中では、更紗の彼氏が、彼女のことを"守ろう"として投げかける言葉が、実は彼女に傷を負わせている、といったシーンがいくつか表現されています。誰かのことを知らず知らずのうちに傷つけないために、自分が"正しい"と思うことを改めて見つめ直さなければならないと思いました。

最後に

どうあがいても誰にも理解されない二人の苦しみがひしひしと伝わってくる一方で、最後には、「誰か一人でも理解してくれればそれで良い」と思わせてくれるような心温かい展開もありました。これからも、どうか心穏やかに自由な生活を送ってほしいと心から願います。

 

【感想・あらすじ】"たくらみ"に満ちた連作恋愛短編集『累々』/松井玲奈

2021年1月に発売された、松井玲奈さんの小説第二作目。紹介文に"たくらみに満ちた自身初の連作短編集"とある通り、この短編集にはちょっとした仕掛けが施されています。全体を通しての感想を書いてしまうとネタバレになりそうなので、今回は1つ1つのお話について紹介していきます。 

 

2年付き合った彼氏からプロポーズを受けた23歳の小夜。自分の年齢が結婚に適しているのかどうかわからず、煮え切らない返事をしてしまうがー「小夜」。獣医の石川は、去勢手術をするたびに自分のものが切られる夢を見る。そんなある日、友達以上恋人未満の女性とラブホテルへ行くことになりー「パンちゃん」。恋愛シミュレーションゲームをプレイするがことごとくパパ活を繰り返す星野は、これまで出会ったどの女の子とも違う、女子大生と出会うー「ユイ」。他、「ちぃ」「小夜」を収録した、著者初の連作短編集 

小夜 

アルバイトで生計を立てている主人公の小夜は23歳。小夜は、ある日の夕食中、彼氏から「今年中に籍を入れたいと思う。」と味気ないプロポーズをされます。言い方は味気なかったものの、彼氏が自分との将来を真剣に考えてくれていることは十分に伝わってきます。ですが、小夜は素直に喜ぶことができません。この話では、そんな彼女の複雑な心境が繊細に描かれています。

23歳という自分の年齢が結婚に適しているのかどうかよくわからなかった。就職していたら社会人一年目。結婚をしたって仕事に就くことはできるわけだしそんなに悩むことでもないのかもしれない。けれど素直に喜べない自分がいる。

"マリッジブルー"という簡単な言葉では表せない小夜の迷いやモヤモヤした気持ちには深く共感できました。

パンちゃん

獣医である石川は、仕事で動物の去勢手術をするときに自分のモノが切られる夢を見るようになります。彼には、友達以上恋人未満にある女の子、"パンちゃん"という存在がいます。いわゆる"都合の良い関係"というものですが、石川はパンちゃんのことが好きで、彼女と関係を持つたびに虚しい気持ちになります。

「私たちは合理的な関係でしょ。したい時にお互いする。セフレじゃん。もちろん石川くんのことは好きだよ。でもそれは友達としてだからだよ。勘違いしないで欲しい。」

パンちゃんはなかなか辛辣な女の子です。よくセフレというと男性が女性のことを都合良く扱うイメージを抱きやすいものですが、この物語では女性であるパンちゃんが石川のことを都合の良い男の子として扱います。冒頭の手術シーンではなかなか感情移入しづらい人だな…と思っていた石川ですが、彼のパンちゃんに対する気持ちは歪ながらも真っすぐで切なくて、なんともやるせない気持ちにさせられました。

ユイ

星野は、いわゆる"パパ活"のパパ側の男です。彼は、恋愛シミュレーションゲームをプレイするがごとく若い女の子とのデートを繰り返しています。ゲームにように女の子のことを"攻略"していく彼ですが、一度攻略した、ゴールを達成した女の子とはもう連絡を取ることはありません。

パパ活における私のゴールは、お金はいらないと言われることだ。金銭だけで繋がっていた関係を、女の子側から変えようとする。その瞬間が最高のエンディングになるのだ。

財力もあり女性の扱いにも慣れている彼は今まで様々な女の子のことを攻略してきましたが、唯一なかなか攻略できないでいるのが"ユイ"という女の子です。彼女は他の女の子とは違う独特な雰囲気を持ち合わせており、一筋縄ではいきません。ブランド物をあげても喜ばないし、食事も庶民的なところのほうが良いと言い出します。星野は、彼女のことを攻略するべく試行錯誤していくのですが、その過程の中で彼女の数々の嘘に気づきます。

パパ活を男性視点で描いたストーリーは斬新ですね。女性に対して、"攻略"のために損得勘定でしか動いてなかった星野が、ユイに対して素直な感情を表現するようになる姿は素敵でした。

ちぃ

美大生に通う主人公、"ちぃ"が好きになったのは、彼女にそのあだ名を付けてくれたハジメ先輩。ちぃはハジメ先輩に告白しますが、「俺、特定の人と付き合わないようにしてるんだよね」と言われ振られてしまいます。ところが、元々その日ハジメ先輩の家へ遊びに行く予定だったちぃは、振られたすぐ後でありながらもハジメ先輩に着いて行き、彼の部屋へ連れて行かれて一夜を共に過ごします。その後も定期的に彼に呼び出されては遊びに行き、二人は曖昧な関係になっていきます。

高校生までの恋愛はお互い好きなら付き合う、それしか知らなかった。あの頃からしたら大学生はとっても大人で、それでも恋愛の形は変わらないと思っていた。漫画や小説では浮気をしたとかされたとか、二人の間にある障害で恋が実らないってことはあったけど、それは小説の中での話で、現実には起こらないと思っていた。気持ちが通じ合えば好きな人と付き合えてきたから。

ちぃがハジメ先輩を想う気持ちは痛いほど一途です。大人になればなるほど恋愛の形が変わっていくのはなぜでしょうか。一見よくありがちな男女の話ですが、ちぃの繊細な気持ちが丁寧に表現されていて、彼女の一つ一つの言動が身に染みました。

小夜

1話目の主人公である小夜の結婚式のお話です。誰もがうらやむ幸福な結婚式の裏には、ある秘密が隠されていました。ちょっとドキドキする展開ですが、現実でもこういったことはよく起きるんだろうなと思います。

まとめ

結婚セフレパパ活トラウマ…、それぞれをテーマにした5つのお話でした。女の子の色んな面がよく描かれていて、個人的には共感の一冊です。いわゆる"曖昧な関係"や"都合の良い関係"と呼ばれるような恋愛をしてきた女の子たちにおすすめです。

 

【感想・あらすじ】"勉強ができる"とはどういうことか?『ぼくは勉強ができない』/山田詠美

1996年に発行された、言わずと知れた山田詠美さんの名作。初めて読んだのは主人公の時田くんと同じ高校生の頃で、当時もそれなりに楽しんで読んでいた記憶がありますが、大人になってから読むとまた違った感情が湧いてくるから面白いものです。それでは、あらすじと感想をご紹介します。

 

ぼくは確かに成績が悪いよ。でも、勉強よりも素敵で大切なことがいっぱいあると思うんだ―。17歳の時田秀美くんは、サッカー好きの高校生。勉強はできないが、女性にはよくもてる。ショット・バーで働く年上の桃子さんと熱愛中だ。母親と祖父は秀美に理解があるけれど、学校はどこか居心地が悪いのだ。この窮屈さはいったい何なんだ!凛々しい秀美が活躍する元気溌刺な高校生小説。 

(「BOOKデータベース」より)

時田くんは勉強ができない

主人公の時田くんは17歳の高校生。クラス人気者で、女の子にもよくもてますが、勉強はできません。ある日、時田くんは、勉強一筋で生きてきた、成績トップの脇山という生徒から、「大学行かないとろくな人間になれないぜ」と言われ、彼に対して小さな嫌がらせを仕掛けます。嫌がらせは、時田くんの幼馴染の美少女:真理に協力してもらい、彼女に脇山を誑し込ませ、骨抜きにさせた後で、こっぴどく振らせる、という内容でした(ちょっと残酷ですよね……)。
でも、小さい頃から周りに「貧乏だから…」「片親だから…」「母親がああだから…」という偏見の目で見られてきた時田くんには、同じように「大学に行かない奴は…」という勝手なレッテル貼りをしてくる脇田のような人間が面白くなかったのです。

物語の中では、これらの言葉を時田くんは「うるいさい蠅のような言葉たち」と表現しています。

ぼくは、蠅を飼うような人生を送りたくない。だって、ぼくは、決してつまらない人間ではない。女にもてない男でもない。

自分のことを、「つまらない人間ではない」と自信を持って言える彼の人生は、とても素晴らしいものだと思います。

真理が脇山のことを振る際に放った「私、勉強しか取り柄の無い男の人って、やっぱ苦手みたい。つまんないんだもん」という言葉は強烈ですが、なかなか核心を突いてるな……と思いました。脇山にとってはトラウマにもなりかねませんが、思わず拍手を送りたくなるような言葉でした。

"勉強ができる"ということ

時田くんはこんな考えを持っています。

どんなに成績が良くて、りっぱなことを言えるような人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と虚しいような気がする。
女にもてないという事実の前には、どんなごたいそうな台詞も色あせるように思うのだ。

いくら勉強ができても、本人が"いい顔"ではなかったらその人の言っていることは信用できない、とのこと。そして、"いい顔"をしている人の言うことはたいてい面白いのだ、と。私は、ここでいう"いい顔"とは、可愛いか可愛くないか、カッコいいかカッコよくないか、そんな単純な話ではないと思いました。
自分の確固たる考えを持ち、他者に「つまんないんだもん」と一蹴されても自尊心がすり減ることなく、常に自分に自信を持てる人は、"いい顔"をした大人になれるのではないでしょうか。

勉強ができることはいいことですが、それは必ずしても生きていくうえで一番大事なことではありません。時田くんはそれをすでに心得ていて、たとえ勉強ができなくても、自分が"いい顔"をした大人になるための道を歩み始めているのだと感じました。


時田くんの変化

本作品は「ぼくは勉強ができない」という表題から始まる9つの短編集ですが、最後のタイトルは「ぼくは勉強ができる」となっており、時田くんの変化を表しています。

この話の中で時田くんは、今まで不真面目だと思っていた母から、「勉強」に対して、こんなことを言われます。

好きだったわ、勉強。秀美も好きになれば?知らないことを知るのって楽しいことよ。

シンプルな言葉ですが、非常に響くものがありました。勉強とは、必ずしも、テストで良い点数を取ることや、良い大学に行くことが目的ではありません。知らないことを知る、シンプルなことですが、それは勉強の本質なのではないかと思います。

また、幼馴染みの真理からは、「時田くんから色々なことを教えてもらっている、時田くんから勉強するのが好き」だと言われます。時田くんを通した当たり前のことは、みーんな当たり前ではない、とのこと。彼女は、他の人とは少し違う考えを持った時田くんと話し、その考えを知ることで、"勉強"をしていたようですね。これは時田くんにとっても大きな発見でした。

ずっと「ぼくは勉強ができない」と思っていた時田くんの、"勉強"に対する価値観が変わり、「ぼくは勉強ができる」という思いのもと、未来への道を歩き出す一つのきっかけになったのではないかなと思います。

読み終わると、不思議と清々しい気持ちに包まれます。主人公の時田くんは高校生ですが、中高生の方だけではなく、大人の方にもおすすめの一冊です。 

 

【感想・あらすじ】穏やかなストーリーの中にある、人生において大事なこと(『かもめ食堂』/群ようこ)

2006年に映画化された群ようこさんの小説。フィンランドという慣れない土地で食堂を始めた主人公サチエが、個性豊かな仲間に出会い、穏やかな日々を紡いでいきます。緩やかなストーリーでありながらも、人生において大切なことがいっぱい詰められている物語でした。

 

 ヘルシンキの街角にある「かもめ食堂」。日本人女性のサチエが店主をつとめるその食堂の看板メニューは、彼女が心をこめて握る「おにぎり」。けれども、お客といえば、日本おたくの青年トンミただひとり。そんな「かもめ食堂」に、ミドリとマサコという訳あり気な日本人女性がやってきて…。

(「BOOKデータベース」より)

かもめ食堂の始まり

主人公のサチエは、幼い頃に母を亡くし、昔から母の代わりによく料理をしていました。高校進学後も、食の勉強をし続けた彼女は、様々なジャンル/国の料理を作るようになりますが、だんだんと、「華やかな盛り付けじゃなくてもいい。素朴でいいから、ちゃんとした食事を食べてもらえる店を作りたい」という夢を持つようになります。

大学卒業後、大手食品会社の弁当開発部で働いていたサチエは、自分のその夢を諦めることなく、コツコツとそのための資金を貯めていきます。「何がなんでも日本で店をやる必要なんてない」と思っていた彼女の頭の中に、ふと思い浮かんだ国はフィンランドでした。

38歳。コツコツをお金を貯め続け、また宝くじに当選するという幸運にも恵まれたサチエは、いよいよフィンランドヘルシンキの街角に日本食レストランをオープンすることができました。これが、かもめ食堂の始まりです。

日本が大好きな青年、トンミ君との出会い

フィンランドの地元の人たちは、新しいお店ができたことは知りつつも、童顔で小柄なサチエのことを小さな子どもだと思い込み、怪しがってなかなかお客さんとしては来てくれません。
そんなかもめ食堂に最初のお客さんとしてやって来たのは、トンミ君。日本が大好きな青年でした。片言の日本語でサチエに挨拶し、部分的な歌詞しか分からないながらも日本アニメのテーマソングを歌う彼はとても愉快です。
彼は翌日もその翌日もかもめ食堂を訪れるようになり、それを見た地元の住民たちもだんだんとお店に来てくれるようになりました。

ただ、学生のトンミ君はお金がないため、いつもお店には来るものの、あまり単価の高いものは頼みません。物語の中盤では、サチエの厚意で提供されたサービスのコーヒーを飲んでいるだけの彼にあまりいい顔をしない同僚の姿も描写されています。ただ、そんなことがありつつも、だんだんと憎めなくなってくるのがトンミ君の不思議な魅力です。

ミドリとマサコとの出会い

最初は一人でお店の切り盛りをしていたサチエですが、やがて二人の仲間が加わります。世界地図の上でたまたまフィンランドを指差してしまったミドリと、ニュースで見たフィンランドの"エアギター選手権"や"嫁背負い選手権"を見て、いい国なんだろうなと思って勢いで来てしまったマサコ

同じ日本人で、年代も近い彼女たちが、偶然同じ土地を選び、出会ったというのは素敵なご縁ですね。

個人的には、三人が紡ぐ言葉がとても心に染み入りました。

自然に囲まれている人が、みな幸せになるとは限らないんじゃないかな。
どこに住んでいても、どこにいてもその人次第なんですよ。その人がどうするかが問題なんです。しゃんとした人は、どんなところでもしゃんとしていて、だめな人はどこに行ってもだめなんですよ。

これは今の自分に言われているような気にもなりました。ちょっと何か嫌なことがあるとどうしても周りの環境のせいにしがちですが、そうじゃないんですよね。自分次第で、周りだって環境だって変えられる、それは自分が自分として生きていくうえで非常に大切なことだと思いました。

 不安っていったらみんな不安ですけど、まあ、先がそうなるかはわかりませんけど、自分さえちゃんとしていれば、何とかなりますよ。

こちらも心に残った言葉です。"ちゃんとする"とはとても曖昧な言葉ですが、曖昧だからこそ、自分もきっと"ちゃんと"している、あるいは"ちゃんと"できるんじゃないかなと、不思議な安心感に包まれます。

 

フィンランドかもめ食堂を始めたサチエが、個性豊かな優しい仲間たちに出会い、彼ら・彼女らとともに、穏やかながらも成長していく姿には、温かい気持ちにさせられました。

場所はフィンランドでありながらも、サチエが"おにぎり"にこだわる理由もまた素敵なもので、ほっこりさせられました(気になる方はぜひ読んでみてください)。

穏やかな小説が好きな方、前向きな気持ちになりたい方、毎日忙しく生きている方におすすめの一冊です。

 

 

【感想・あらすじ】読後は奇妙な感覚に包まれる、「夫婦」の不可思議さを描いた物語『異類婚姻譚』/本谷有希子

第154回芥川賞受賞作、本谷有希子さんの『異類婚姻譚』を紹介します。他人同士が身内になる「夫婦」の不可思議さが描かれ、読後は何ともいえない奇妙な感覚に包まれる物語でした。

 

子供もなく職にも就かず、安楽な結婚生活を送る専業主婦の私は、ある日、自分の顔が夫の顔とそっくりになっていることに気付く。「俺は家では何も考えたくない男だ。」と宣言する夫は大量の揚げものづくりに熱中し、いつの間にか夫婦の輪郭が混じりあって…。「夫婦」という形式への 違和を軽妙洒脱に描いた表題作ほか、自由奔放な想像力で日常を異化する、三島賞&大江賞作家の2年半ぶり最新刊!

(「BOOKデータベース」より)

自分の顔が旦那の顔とそっくりに??

「ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた。」
そんなキャッチーな一文に惹かれ、思わず手に取ってしまった一冊です。
てっきり、「他人同士でも夫婦って一緒に暮らすうちに似てくるよね。似た者同士の夫婦って良いよね!」という話と思い読み始めたのですが、中身は全然違いました。ここに描かれているのは、自分と他人が一体化していくことへの恐ろしさでした。

主人公のサンちゃんは専業主婦。結婚当初、旦那から「1日3時間はテレビ(しかもバラエティ)を見る」「家では何も考えたくない」と宣言されます。
旦那はその宣言通り、とにかくだらしなく、会社から帰るとひたすらゲームをしたり、テレビを見たり、道を歩いていると平気で痰を吐いたり……。

痰を吐くシーンでは、その場にいたおばちゃんに注意されても旦那は謝らず、代わりに謝ったサンちゃんが、その痰をティッシュで拭ったところが印象的でしたね。サンちゃんは、旦那の痰に対して、自分がそれを吐いてたような感覚になっていたとのこと。旦那と自分が融合し、一体化していくことの恐ろしさ・不気味さを感じました。

 

キタヱさん夫婦と猫のサンショ

物語には、もう一組の夫婦が登場します。
サンちゃんのマンションのドッグランに愛猫の猫"サンショ"を連れてくる年配の女性、キタヱさん夫婦です。
あるときキタヱさんは、サンショの粗相がひどくなり、ついに捨てることを決意します。サンちゃんはサンショを捨てる場所として「山」を提案し、キタヱさん夫婦とともに一緒に山へ向かいます。

旦那の存在に不気味さを覚えながらも受け入れてしまうサンちゃんと、サンショの粗相にひどく悩まされつつもいざ捨てるとなったら自分ではそれができないキタヱさんには、近しいものを感じました。

 

そもそも、"異類婚姻譚"とは

民俗学用語。異類求婚譚ともいう。人間が動物や精霊などの異類と婚姻する昔話の一つ。異類が男性の場合と女性の場合がある。男性の場合は,名を隠して女のもとに通う婿の本体がへびだったというへび婿入り型が代表であり,その他,笑話的なさる婿説話も知られている。女性の場合は,危機を救われたつるが美女となりその妻になる「つる女房」や,「はまぐり女房」のように動物が恩返しをする形式のものが多い (→動物報恩譚 ) 。その他,「柳の精物語」「羽衣伝説」などもこの類型である。
(「コトバンク」より)

恥ずかしながら、"異類婚姻譚"とは何なのかを分からずにこの本を読み始めた私ですが、後から調べてみて「なるほどな」と思いました。

読後に味わう、奇妙な感覚

この本には、表題作の他に『<犬たち>』『トモ子のバウムクーヘン』『藁の夫』という3つの作品が収録されています。抽象的な物語が多く、奇妙な感覚を味わわせてくれます。決して不快感はないのですが、どことなく不気味で、後になってじわじわと良い意味での違和感が襲ってきます。不思議な感覚を味わい人、オカルトが好きな人におすすめの一冊です。

 

 

【感想・あらすじ】本からピアノの音色が伝わってくる、美しく優しい物語『羊と鋼の森』/宮下奈都

第13回本屋大賞第4回ブランチブックアワード大賞2015第13回キノベス!2016 第1位……と、伝説の三冠を達成した羊と鋼の森』/宮下奈都を紹介します。
読んだ後も心地よい余韻にずっと包まれるような、美しく優しい物語でした。

 

高校生の時、偶然ピアノ調律師の板鳥と出会って以来、調律に魅せられた外村は、念願の調律師として働き始める。ひたすら音と向き合い、人と向き合う外村。個性豊かな先輩たちや双子の姉妹に囲まれながら、調律の森へと深く分け入っていく―。一人の青年が成長する姿を温かく静謐な筆致で描いた感動作。

(「BOOKデータベース」より)

 「ピアノ」「調律師」との出会い

主人公外村(とむら)は、北海道に住む高校2年生。
日々の生活に特に目的意識を持たずに過ごしていた外村は、ある日学校の先生に頼まれ、体育館で客人を待つことになります。そこに訪れたのが、ピアノの調律師である板鳥(いたどり)という一人の男性。

それまでピアノに興味が無かった、また「チョウリツ」という仕事が何を指すのかをよく分からなかった外村は、板鳥さんがピアノを調律する姿を見て、そして彼が調律したピアノの音色を聴き、その魅力に引き込まれていきます。これが、外村とピアノ、調律師という仕事との出会いでした。
高校卒業後、外村は調律師の専門学校へと進学し、その後は板鳥さんの勤める楽器店に就職することができました。

ピアノを愛する双子の姉妹、先輩や恩師との交流

就職した楽器店で、外村は個性豊かな先輩たちやお客様と出会います。
社交的で面倒見が良く、例え話が好きな柳さん。
一見意地悪に見えるが、ピアノに対する愛と尊敬が人一倍強い秋野さん。
そして何より、外村が調律師を目指すきっかけになった板鳥さん。
楽器店の個性豊かな先輩たち・恩師に支えながら、外村は日々成長していきます。

初めて先輩と調律に向かった先で出会った双子の姉妹、和音と由仁の存在もまた、外村の調律師としての仕事に大きな影響を与えていきます。
それまで何のこだわりもなく生きてきた外村が、自分の仕事にプロ意識とにこだわりを持ち、良い意味で"わがまま"になって成長していく姿には静かな感動を覚えます。

穏やかな物語の中にある、熱い想い

物語は終始穏やかに進んでいきます。ですが、この物語で描かれている外村の誠実さや成長していく姿からは、熱い想いとエネルギーを感じます。
外村は、新人時代からずっと、誰から言われるでもなく毎日事務所で調律の練習を繰り返し、家に帰ったらピアノ曲集を聴き続け、先輩の語る言葉を必ずメモに取り、どんな小さなことでも自分の学びに繋げていきます。
迷いながらも前に進んでいく姿がどこか清々しく、読んだ後は、美しいピアノの音色が頭の中を優しく流れつつ、「自分も明日から頑張ろう」という気持ちになりました。

「何かにチャレンジしたい人」におすすめの一冊

何にもこだわりを持たなかった主人公がピアノに触れ、調律という仕事に出会い、素敵な先輩やお客さんに囲まれ成長していく姿には心を打たれました。音楽をやっている人、何かにチャレンジしたい人におすすめの一冊です。